社交ダンス物語 266 ひとり酒

コラム

 私はひとり酒が好きだ。女のひとり酒なんて、さみしいとか、暗いイメージがあると思われるかもしれないが、私は少しもさみしくなどない。冬のわが家で作るといったら、お鍋。ひとり鍋にひとり酒は、至福の時間だ。夜遅くには、さっぱりとしたシンプル鍋が体に良い。今夜は白菜だけの味噌鍋。おだしは昆布、薬味にはかんずり。お酒はリッチに八海山。グラスはお気に入りの青の江戸切り子。酒を友に、物思いに耽る『粋』なオンナ時間を楽しもう…

 杯にふと目をやる。すると冷酒の海に、ショウジョウバエが浮かんでいるではないか。そういえば先ほどキッチンで調理していた時に、耳元で勢い良くブンブン飛んでいた。そやつか?
「アホなハエだ。」
ティッシュペーパーでハエを拭い取り、その冷酒をぐいっと飲み干した。そして、2019年を振り返る。今年もダンス昇級はならなかった。ラテンB級、スタンダードC級、現状維持がやっとであった。

 やりたいことは、いっぱいある。でも、人生は一回、からだは一つ。全ての人に時間は平等に与えられている。それをどう使うかだ。そういえば研修医だった頃、先輩医師がこう言っていた。勉強をしなければならないし、奥さんへのサービスもしなければならない。寝ている時間などないと。人生の折り返し地点を過ぎ、自分の人生って何だったのだろうと、ふと振り返る。自分は『医師』として、『競技ダンサー』として生きてきた。もし、ダンスをしていなかったら、自分はどうなっていただろうか? 『ダンス』に費やした時間とお金とエネルギーを全て医療に貢献していたら、自分は優秀なドクターになっていたかもしれません。

 少しお酒が効いてきたようだ。ふと、テーブルの上のティッシュペーパーに目を移す。そこにはハエの姿がない。ひん死の状態から、自力で這い上がったのか? ハエは床下に落ちていた。床の上で弱々しく、ヨロヨロ足を動かしている。最後のあがき? 人間で換算したら、何合の酒を飲んだのだろう。
「この、酔っぱらいめ!」
酔っぱらいが、酔っぱらいを笑っている。

 静寂な夜のマンションの部屋(賃貸)には、カタンコトンと貨物列車が通り過ぎる音が、もの悲しく響いている。女のひとり酒はさみしくないと吹聴していた自分だが、なんだか寒くなってきた。自分は結婚できなかった。ダンナも彼氏もいない。女として、負け組か? しかもダンスは音痴、医者としても三流、いや四流? 実は何一つ、モノにしていない。つまり、ダメ人間だったのか? 50過ぎの田舎の目医者の目に、涙があふれてきた。
「大丈夫、君は頑張ってきたよ。」
こんな時、そばに男の人(王子さま)がいてくれたらなぁ…。

 その時である。耳元で、ブンブンと音が聞こえてきた。
「いっ?」
酔っぱらい、はっと現実に返る。床の上には、ショウジョウバエの亡骸はない。ハエは、もうダメ。そう思っていたのに、ハエは生き還ったのだ。
「頑張り続けられる期間は、そう長くはない。お前さんも今を生きろよ!」
ハエが耳元で、自分にエールを送ってくれているかのようだ。

 人生は、辛いことがいっぱいだ。でも、あきらめてはいけない。人間の目は、前に付いている。それは、前を見るためにあるからだ。よし、私は前へ歩き続けよう。50過ぎの家なし独身女、人から笑われようが、自分を信じて今を生きよう。そして、夢を追い続けよう。たとえ自分の夢がかなえられなくても、充実した人生だったと、自分にメダルをあげるために。ちなみに、私の尊敬する加藤諦三先生(第146話)の著書には、こうある。
『二兎追うもの、二兎を得る。』
ハエ君、ありがとう! 私はひとりじゃなかったんだね。(笑)


☆ 2020年に、乾杯!

著者名 眼科 池田成子