山岸 文範
糸魚川総合病院は昭和13年に開業し、すでに83年の歴史があります。当時の糸魚川の医療は悲惨であり「各地の農村においては一回の診察、一剤の薬をも求め得ずして、人命を無くする人々も多かった」という状況であったようです。立ち上がった有意の人々は「疾病に対する治療は人生の最も重大なる一要件にして、貧富高下都鄙(*)の別なく享受せられなければならぬ」という決意をもって当院を設立しました。すなわち差別なく全ての市民に医療を届けるという使命(=ミッション)があって始まった病院です。彼らの作った医師数2名、全職員14名の小さな病院は、国や市の発展に伴って500名近い職員が集まる施設としてこの地の医療を支え続けています。この歴史の一員として、スタッフとともに糸魚川の医療にあたることができるのは私にとって本当に光栄なことです。
しかし今、医療は新たな変革期に入りました。少子高齢化という津波が、経験したことの無い労働人口減少という悪夢を全国にもたらしてます。豊富であったはずのスタッフはその募集が困難となりつつあります。医師募集については大学の協力もあり一応の安定を得ていますが、新潟県全体では偏在化による影響を強く受けたままです。高齢化に加えて医療の高度化は財政の逼迫をもたらしています。政府は医療費改定に加え効率化を図るために地域医療計画、地域包括ケアシステムを実行しつつあります。それは一昨年、統廃合対象病院を実名で示し具体的な対応を迫るという政策になって発表されました。当然ですが糸魚川総合病院はその対象には含まれず、引き続き急性期・慢性期医療を継続していく病院とされています。
この変革期の中で医療を継続するというミッションのためには、あるべき病院の姿(=ビジョン)を持っておくことが必要です。どのようなビジョンが望ましいのでしょうか? 少なくとも今までこうしてきたからそのままで良いという考え方は通用しません。昭和から平成にかけて病院が大きくなった時期のルーティンは、人が増え続けた幸せな時代に作られたものです。しかし現在の労働人口減少は患者数が減るよりもずっと早い。その中でスタッフを集め、効率の良い仕事をし、確実な医療を市民に届ける。豊かな私生活も可能にしたい。今までの手段、知識、態度は効果的ではありません。それどころか無批判に過去を踏襲することは医療の継続を阻害する要因とみなされかねない時代です。
現在、私は救急機能の維持を前提とした上で次の4つをビジョンとして考えています。
- 働き方改革に沿う形でムリ・ムダ・ムラを見つけ、それを減らした病院。スタッフが豊かな人生を送れるような職場環境であればこそ人も集まり、最善の医療が提供できます。
- 確実な標準治療の実行。一部に先進医療を加えることにより市外からも患者様に来ていただける医療水準を持った病院。
- これから先も需要の延びる慢性期医療・介護への積極的なコミットメントができる病院。
- スタッフのキャリア形成に資する教育・研修環境が充実した病院。
ビジョンは時とともに、また病院スタッフの考えや国の政策などによって変化するものです。むしろ変え続けることが求められます。しかし83年前に示されたミッションすなわち差別なく全ての市民に医療を届けるという使命だけは、少子高齢化であれ医療財政の逼迫であれ変えることはできません。 病院長就任にあたり私は病院のスタッフとともに貧富都鄙老若に関係なく最善と信ずる医療提供の努力を続けると誓います。
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貧富高下都鄙
高下は身分の違いを示します。当時は貴族と言われる人々が日本にもいました。鄙は“ひ”と読み都会に対して田舎という意味です。貧富高下都鄙のなかで高下はすでに意味が無いと考えて構わないでしょう。現代ではむしろ世代間格差を意識するべきであり、貧富都鄙老若と言い換えることができます。
略歴
- 1986年
- 富山医科薬科大学卒業
同大学第2外科入局
- 1994年
- 医学博士号取得
大学院修了直後は分子生物学者を志していましたが、たまたま1年間当院で働いた時に外科医として生きることを決めました。
- 2005年
- 富山大消化器・腫瘍・総合外科講座 准教授
- 2008年
- 厚生連糸魚川総合病院 副院長
- 2021年
- 同 病院長