社交ダンス物語 260 心に残るコンペ

コラム

 ダンスには、3通りあるそうです。楽しいダンス、美しいダンス、勝つためのダンス。コンペでは当然、勝つためのダンスが要求されます。勝つためのダンスと楽しいダンスが一緒だったら最高と、プロ全日本シニアラテンチャンピオンが語っていました。競技選手そしてダンス愛好家の皆さまにとって、心に残るコンペは数々あったと思われます。自分の場合、千葉県大会スタンダードC級の同点決勝。7組の中で、1組だけ次の準決勝へ勝ち上がれる試合でした。ドングリの背比べゆえ、生きた心地はしませんでした。そして全日本シニア選手権ラテンアメリカン、2次予選進出。奇跡でした(第63話)。うちのリーダーも、心に残る忘れられない試合があると言います。ちなみに、パートナーは筆者ではありません。お相手は、彼の叔母さん。彼がアマチュア競技ダンスを手がける前のお話です。横浜在住のリーダーの叔母さんは、スタンダードのプロ競技選手(第160話)。叔母の勧めで、鎌倉で開催されたプロ・アマミックスコンペに出場した時のことだそうです。

 当時のリーダーは、ボールルームダンスの検定試験(メダルテスト)で悪戦苦闘。ボールルームダンスは、男子のリードを受けて女子は踊るもの。メダルテスト(第44話)の合格率は、受験生が男か女かで左右いたします。圧倒的に女子が有利。男先生のリードとフォローで、踊らせてもらえますので。自分の場合、スタンダードは先生にぶら下がり、ラテンは先生とつながっていただけで合格させてもらえました。しかし、受験生が男子の場合は、そういう訳にはゆきません。男がリードしなければならない立場にありますので。男子生徒は舞い上がってしまいカウントがとれず、女先生はカウントを外さないよう暴走する生徒を懸命に押さえているって感じでしょうか。しかも、ご自身がリードされているかのように見せなければなりません。踊れない生徒を踊らせるプロの先生ご苦労は、眼科医が、かたくなにぎゅっと目をつぶり暴れる患者さまの眼を検査させていただくに匹敵するのではと憶測されます。

 ここで、リーダーが叔母さんと踊った肝心のプロ・アマミックスコンペのお話に戻します。当時リーダーは、長岡で勤務していました。叔母と組んでリハーサルしたのは、前泊したコンペの前の日だけ(ありえへん!)。種目は、チャチャチャ。叔母は、プロC級スタンダードの競技選手です。コンペでラテンを踊るのは今回が初めて。この日を楽しみにしていたそうです。叔母にリードされて、リーダーが感じたこととは…。
『音より早い! 叔母さん、自分の尺度で踊っている?』
予選を終え、本戦を前にして。叔母のコーチャーであり、来賓かつ審査員の出口先生(昭和40年代の全日本ファイナリスト)が突然マイクを取り、予定されていなかったスピーチあり。
「どんなに形が奇麗でも、競技では音にあっていないと審査してもらえません。0点になってしまいます。」
『それって、僕たちのこと?!』
このままでは、最下位になってしまう…。意を決して、リーダーは叔母さんに申し上げたそうです。
「次は僕がリードします。」
後で出口先生から聞いたお話ですが、コンペでは叔母さんの表情は最高。カウントをはずしていても、叔母・甥っ子組は目に入ってしまうのだとか。

 プロ・アマミックスコンペ、結果は…。優秀賞! 叔母・甥っ子ペアに、トロフィーが授与されました。男子がアマで賞をもらえたペアは、自分達だけだったそうです。叔母さんは、鼻高々だったそうですよ。当時の貴重なお宝映像を見せてもらいました。対戦相手の表情は固くなっています。叔母・甥っ子組はノリノリ。(コンペで、楽しいダンス)まるで、恋人同士のよう。リーダー若い! 今より太め、毛があります。当時の叔母さんの年齢は、今の自分と同じ50過ぎ。なのに、まるで女の子のよう。ポップロックキャンディが弾けるかのように踊っています。叔母さんのラテンドレスは、ゴージャスなゴールド。背中がバックリ開いたおヘソまる出しのパンツスタイルです。可愛い甥っ子とラテンを踊るこの日のために、あつらえたの? それにしても叔母さん凄すぎ! 勇敢です。同年代の自分は、絶対に真似できません。この年になって、人前でヘソを出すなんて(オソロシイ)。うちの病院の人間ドックの腹部超音波検査は、別ですけれど。(笑)

リーダー:「決勝では、カウントぴったりでしょ。」
パートナー:「そうよね。ところで、踊りは今よりうまいんじゃない?」
リーダー:「やめてよ!! 毛があるだけさ!」


☆笑顔は最高の武器! ところでうちのリーダーには、毛があった。勝つためには、毛は必要か?(笑)

著者名 眼科 池田成子