「ああ、自分は年をとった」
そう感じる時って、ありますよね。眼科医の自分の場合、執刀中にひしひしとそれを感じます。眼科の手術では、直径0.02ミリの糸を操ることがあります。悲しいですよ。若い頃は肉眼で見えていた糸が、今では顕微鏡がないと見えないのですから。あと、手術の合間にトイレに行く回数が増えました。うちのリーダーの場合、ダンス教室の階段を昇る時に年を感じるそうです。自分達の通う高田のダンススクールは、ビルの三階にあります。エレベーターはないので、教室の入り口までは外階段を使うことになります。現在は、階段脇に取り付けられている手すりにつかまっていますが、20年前は手すりの存在すら気づかなかったそうです。
「年とったの?」
手術に限らず外来診療をしている時も、そう思うことがあります。診察室で目の前の男性患者さまを見て、「まあ、かわいい坊や」そう思いカルテを見ると、患者さまの年齢は40歳。「おおっ、ストライクゾーン!」(不謹慎でスミマセン)ワクワクしながらカルテを見たら、その男性患者さまの年齢は70歳。
「これだから、アラフィフ独身オバさんは…」
10代20代の子から、ドン引きされても何ら不思議ではありません。でもお若い方々、『ひとごと』のように笑ってはいけませんよ。競技ダンスと同じです。ジャッジからは、キビシい比較対照の目で見られていますので。夏の甲子園球場のTV中継を見ていた時のことです。
「うわっ! すんげぇーおじさん達!」
自分は驚愕した記憶があります。ちなみに、そのおじさん達とは高校球児のこと。当時の筆者の実年齢は、小学3年生でした。(笑)
ところで、食べ物の好みが変わるのも、年をとった証拠なのでしょうか? 子供の頃はお肉が大好き、でも今では昔ほど食べたいとは思わなくなりました。焼肉屋へ行っても、若い頃のようにモリモリ食べられません。肉といえば、こんな笑える(笑えない?)エピソードがあります。
「ひろしや、ひろし。肉は毒じゃ。」
リーダーが幼い頃、おばあさんからそう言い聞かされていたそうです。素直なリーダー君、お肉は危険な食べ物とインプットされ、口にしなかったそうです。給食でお肉が出た時には怖くて、泣きたい気分になったそうですよ。ちなみに、おばあさんの息子(リーダーのお父さん)のお弁当には、毎日のようにジュラルミンのドカ弁に豚の生姜焼きが敷き詰められていたというから、スゴい。(笑)
脱線してしまいました。ここで、まとめたいと思います。年をとると、今まで当たり前のようにできていたことが、できなくなります。大学病院で研修していた20代の時は、緊急手術が入り徹夜しても、次の日は朝から働けました。多少のムリはききましたが、今ではききません。年をとると体力・気力・集中力が衰えます。でも、年をとって素晴らしいこともあります。それは、若い人が知らないことを知っているということです。そう、重ねた年の分の『経験』があるんですね。糸病眼科の池田、手術で0.02ミリの糸が見えなくても、空気で針と糸の存在が分かるとか…(笑)
「過ぎたるは及ばざるがごとし。」
これは若かりし頃、自分の執刀で助手について下さった前教授のお言葉です。若いうちは怖いもの知らず。切りたい、やりたい、深追いしてしまう。しかも、本人は見極めができません。状況によっては患者さまのために、やめる勇気、やらない勇気も必要と学びました。
最後に、ブラックジャックや神様と呼ばれる外科医でも、年をとるとピントは合わなくなるし、手はぶれてまいります。現代はロボットが手術をする時代になったとはいえ、普及するにはまだ先のこと。肉体労働(執刀)は若い人に任せて、ご自分は現場監督。
「そこ! 入れすぎない!」
モニターを見ながら、脇でワンワン叫んでいる教授先生もいらっしゃるそうですよ。(笑)これは、職種を問いませんね。
☆次世代へ、皆さんの経験を生かしましょう。
著者名 眼科 池田成子