社交ダンス物語 223 眼科医は願う

コラム

 先般、災難に遭ったばかりというのに(第222話)、また災難。病院の医師駐車場に停めていた愛車(黄色のヴィッツ)が、見事に糞まみれ!(洗車したばかりなのに、カラスの仕業か?)その翌日、さらなる災難が我が身に降りかかりました。3月3日の土曜日午後12時11分、リーダーの車で高田のダンススクールへ向かう途中のことでした。のどかな田舎の海岸線の国道で、赤信号で止まっていたら、突然後ろから激しい衝撃を受けたのです。
「え”? 何?」
車ごとふわっと浮き上がる感覚、前方へ押し出されました。

『前の車にぶつかる!』
 そう思った瞬間です。前方に止まっていた車は動き出し(ちょうど信号が青に変わったところ)、危うくも玉突き事故は免れました。車間を充分にあけていたことで、救われたんですね。車を路肩によせ、リーダーは運転席から降りて事故の状況を確認。運転していたのは、86歳の男性。助手席には妻が乗っていました。お二人ともまるで『仙人』のよう。あれだけの衝撃を受けながらも、ちんと座ったまま。
「大丈夫ですか? 痛い所はないですか?」
耳の遠そうな、おじいさんとおばあさんです。リーダーが、ゆっくりと大きな声で話しかけたところ、痛いところはないとお返事がきました。奇跡的にも老夫婦は無事。他方、ダンスで鍛えている中年の自分達は痛いところだらけ。
 
「どうされましたか? 居眠りされましたか?」
涙目のリーダーの問いかけに、おじいさんは赤信号でブレーキとアクセルを踏み間違えたとのことでした。加害者は素直に自分の過失を認めて謝っていました。同じ高齢者による追突事故でも、第215話とは大違いです。老夫婦は携帯電話を持っていないとのこと。おじいさんは小さくなって、ちんと座ったまま。おばあさんは申し訳ないと、ただただ手をあわせているだけ。よって警察や保険会社への通報や、その後の段取りは全て腰の痛いリーダーの仕事でした。え? 助手席にいたパートナーは、彼を助けなかったのかですって? 手助けしましたよ。頭がジーンとして右腰が痛いながらも、真っ先にコーチャーへ電話連絡しました。1時のダンスのレッスンには間に合いませんと。

「全て私が悪いんです。」
 気をつけて運転していたのに、年をとって集中力が落ちたのですねと、事故を起こしたおじいさんはがっくりと肩を落としています。
「体は無事で良かったですね。」
もともと痛い腰に(第157話)追い打ちをかけられながらも、リーダーは動じず笑顔で(競技と同じ、痛くても泣き笑い)おじいさんを慰めています。ちょっとした接触事故でも相手にまくし立てる人が少なくない中、ボールルームダンスを嗜む彼は紳士です。そもそもチビ・ハゲの自分達、ぶつかったりぶつかられるのには慣れている? 下級クラスの競技会では、試合中に他の選手と衝突するのは当たり前ですから(涙)。でも、内心ハラハラしていたそうですよ。おじいさんが任意保険に加入していなかったらどうしようと。購入したばかりの新車は大破してしまいましたので。幸いにも信頼のおけるJAの自動車保険に加入しておられました。
「事故を起こしたくて、事故を起こす人はいませんよ。」
新潟県警察の方もやさしい口調で、おじいさんを慰めています。みんな分かっているんですね。老人を叱ってはなりません。

 糸魚川は中心から少しはずれると、車がないと非常に不便なところです。現代は車社会。田舎の路線バスの本数も減りつつあります。糸魚川市は高齢化率が高く、老夫婦二人暮らしや独居老人が多い地域です。身近には頼れる若い人がいないため、運転免許更新の目的で白内障手術を所望されるご高齢の患者さまは絶えません。
「わしから運転免許を取り上げることは、わしに死ねということか!」
「車がないと,生きてゆけません!」
手術はお受けいたします。でも目の前の患者さまは杖をついてヨロヨロ、もしくは先程申し上げたことを覚えていらっしゃいません。危ないから、運転はおやめになった方がよいのではと申し上げると、上述のような切実なお声が返ってまいります。眼科医は危機を感じています。自分が執刀させていただき、視力を得られた患者さまが車の事故を起こしたらどうしようと。糸魚川市で白内障手術ができる設備のある病院は当院のみです。市内で後期高齢者による交通事故があったと聞く度に、眼科医は自分が事故に加担したかのような自責の念にかられるのです。

 このたびの事故で思ったこと、それは被害者がセダンの運転席と助手席に乗っていた自分達で良かったということです。もしこれが人やバイク、軽自動車、後部座席に子供が乗っていると想像したら、身の毛がよだつほどに恐ろしい。そして実感したこと、それは後期高齢者がハンドルを握らなくても快適で安心して暮らせる町づくりが必要ということです。事故に遭わない生活を。自家用車がなくてもお年寄りが孤立せずに、通院や買い物に困らない生活がおくれますように。そのためにも地域の皆さまに、大いに取り組んでいただきたいと切実に願います。


☆みんないつかは老人。尊い命、そして人々の笑顔を奪ってはなりません。

著者名 眼科 池田成子