国語辞典によれば、『初老』とは『40歳』から。50歳の誕生日を迎えた娘をしげしげと見て。
母:「きれいね。」
娘:「お母さま、私はもうババアです。」
母:「成子、あなたはババアではありません。チーババです。」
後期高齢者の方を前にして、50にして『ジジ』『ババ』の称号をしゃあしゃあと名乗るは、せんえつ?(笑)
昔が懐かしく思えるのは、年をとった証拠でしょうか? 研修医を終えて半年目のことを思い出します。当時は27歳。大学からはじめて派遣された病院が、今の糸病です。その時のキョーレツな思い出といえば、2病棟(当時の外科病棟)の焼山温泉での忘年会でしょうか。
「のぞいていいかぇー」
男湯から、酔っぱらい達の声が聞こえてきます。
「いいよー」
女湯にいたオバさん達(うちの病院の職員ではありません)は、黄色い声をあげています。『変態っ!でも、覗き見するバカはいないわ…』若き女医はひとり洗い場で、おもむろに体を洗っておりました。ザワザワしてふと男湯と女湯の隔てを見上げると、そこには男の人の首がずらーり並んでいます。(岩をよじ登った? さすが、酔っぱらいの為せる業)ちなみに、いいよーと叫んでいたオバさん達は首まで湯船につかり、キャッキャと嬉しそうにはしゃいでいました。糸病へ赴任して1年後、大学へ戻るよう命ぜられ、平成10年7月、再び今の病院へ戻ってまいりました。あれからはや18年、糸病医師の中では自分は若いと思っておりましたが、いつしかベテラン(老兵?)と呼ばれる立場になっていたのでした。
さて、医局の主のごとく、ここに長く居させていただいているチーババにとって、平成生まれのドクター達は『金の卵』。可愛くて微笑ましく思えます。自分にも、あんな時期があったのだなあと。でも、そんな彼らにチーババは、おったまげることもありますよ。医局にはお弁当が用意されていますが、若い先生の中にはお弁当のご飯に、白いご飯が見えなくなるまでソースをかける子がいます。「これでもか!」というくらい。それすら驚きですが、さらにその上からソースが見えなくなるまでコショウを振りかけています。別の若い先生は、ごはんの上にソースをかけ、その上にマヨネーズをぐにゅぐにゅとしぼり出し、さらに七味唐辛子を振りかけています。これって、今どきの若者流の食べ方? まるで、たこやきやお好み焼き感覚。それを見て、チーババは心の中で叫びます。「新潟米が、泣きますよ!」と。ところで地元のお弁当屋さん、使っているのは、『新潟産コシヒカリ』ですよね。(笑)
ここで新潟といえば、おいしいお米に美人、そして自分達の愛する糸魚川総合病院!(笑)臨床研修指定病院である当院は、全国的にも医学部の学生さんや研修医の先生には、とても人気がある病院です。Y副院長をはじめとする指導医や総務課の職員も、インターナショナルなドクターを目指す研修医の育成に力を注いでいます(第43話・175話)。自分が最初にここに赴任した、研修医に毛が生えたばかりの頃を思い出します。当時の眼科には優秀な先輩がいて、夜遅くまで出来の悪い後輩(筆者)のために指導してくれていました。眼科の予定手術日の前日、その先輩は高熱のため急遽うちの病院へ入院。明日の手術は延期になるものと思われたのですが、自分は執刀を命ぜられたのです。「こわくてひとりではできません」そう言ったら、「自分を信じろ」と、熱にうなされながらも後輩を叱咤激励してくれました。無事手術を終えて、病室へ報告に行った時のことです。
「俺はうれしい。」
病床でそう頷いてくれたF先輩の、この上ない笑顔に感激。(涙)
心に残る、昔のお話をさせていただきました。糸病で研修を積まれた若き先生へ、シャケが遡上するかのごとく、いつの日かうちの病院へ戻ってきてくれることを、チーババは心より願っております。
★ところでチーババ、いつまで踊る?(笑)
著者名 眼科 池田成子