社交ダンス物語 177 親鸞聖人から学ぶ ダンス篇

コラム

 『明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは』
これは、親鸞聖人が9歳の時に慈円(じえん)和尚から、今日は日も暮れかけたから得度出家(とくどしゅっけ)の儀は明日にしようと言われた時に詠まれたという歌です。筆者が子供だった頃、僧侶である祖母はこの古歌の意味を教えてくれたものでした。

 あれから40年、かつて幼き寺の娘はアラフィフ。この超高齢化社会、40代50代にとって『年金』とは『高嶺の花』。しかし、チビ・ハゲ中年の自分達は、年金がもらえるどころか明日はあるのでしょうか? 果たしていつまで元気で踊っていられるでしょう。というのは、リーダー・パートナー共に、短命の遺伝子を受け継いでいるからです。
「人生50…」
そう言って、筆者の父は癌のため50歳でこの世を去りました。じきに自分は父が死んだ年になります。4歳年下の妹(第53話)は神経の難病に冒され病臥する身、そう長くないのではと主治医から告げられています。ちなみに、リーダーの父親は頭が痛いと言ってうずくまり30代で突然死、父の父にさかのぼっては20代でお亡くなりになったそうです。

 50といえば、子づくりや子育て、偉大な業績・研究など、やるべきことは概ね終わっていると言われます。第一線で活躍していたプロのスポーツ選手は引退していますし、50過ぎれば外科系のドクターだって、長丁場の手術は集中力が持続しません(目はかすむし、トイレに行く回数が増える)。ならば、50過ぎてからやるべきこととは、次世代を担う若き人達を成長させること、社会貢献と慈善事業に尽くすこと、人々に笑顔を施すこと(仏教ではこれを和顔施(わげんせ)といいます)、そして時には自分へのご褒美もあり? 我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず…。『身の程知らず』と笑われても、明日死ぬと思ったら怖いものなどありません。10ダンサーに憧れていたチビ・ハゲは、5月8日に京都で開催された第1回全日本シニア10ダンス選手権(出場資格は年内に35歳以上と30歳以上のカップル)に出場してまいりました。(自分達へのご褒美!)

 なにを隠そう、本大会出場を勧めて下さったのは、日本グランドシニア・ラテンチャンピオンの肩書きをお持ちの、新潟が誇るK選手です。嬉しいことに自分達のような下々の選手に(リーダーは自分のことを『ミジンコ』と呼んでいます)お声をかけて下さったのですよ! まさに、慈善事業。
「楽しんでいらっしゃい。」
コーチャーはそう言って、出来の悪いチビ・ハゲを笑顔で送り出してくれました。ありがたき和顔施。会場は京都府立伏見港公園体育館。日本全国から38組の選手が出場しました。ちなみに、10ダンスとはスタンダード5種目(ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ、ヴェニーズワルツ)とラテン5種目(サンバ、ルンバ、チャチャチャ、パソ・ド・ブレ、ジャイブ)の合計10種目で競われます。アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌(若い人達は知っている?)にあわせて選手一同による入場行進、大会会長の挨拶、そして選手宣誓に感激! 競技結果は、38組中ダントツで38位。オリンピックと同じ、参加することに意義あり!(笑)。本大会に出場させていただき、チビ・ハゲは感無量です。お浄土へのお土産になりました。

 最後にここでもう一度、心静かに親鸞聖人の古歌を復唱してみましょう。
『明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは』
自分は、まだまだ。もっとダンスが上手になってから、先生とデモをしよう…。納得できるレベルになってから、競技会に出場しよう…。そうお考えの中高年ダンス愛好家の皆さま、ひょっとしたら明日はないかもしれませんよ。この世は無常です。我や先、人や先… さあ、デモに競技に急ぎましょう!(笑)

 

★ 明日死ぬと思って、今やれることをやり尽くす。
それでダメなら仕方ない。その開き直りが自信につながる。
            (元サッカー日本代表監督)

著者名 眼科 池田成子