競技ダンスのカップルを組んで4年、技も身長もなく、髪の毛も少ない中年の我々だが、昇級を夢みて盆・暮れ・正月なく練習に励んできた。昨年の元旦は病院の当直当番に当たってしまったが、本年度は免除(笑)。大晦日は病院の講堂でリーダーとダンスの練習をした後、富山にある実家の寺へ帰郷した。
「成子、ヘアピースを付けなさい!」
帰って来た娘を見で、母親が最初に発した言葉はこれ(涙)。
仕事とダンスに追われる日々を送っているが、お正月ぐらい非日常を楽しもうと、箪笥から花椿の模様の和服を取り出した。ひとりで着物を着るって、難しい。姿見の前で、長い帯と格闘する。その姿、うねる蛇女のごとし(爆笑)。
何とか和装へと着替え終えると、テレビの前に座る。殆どのご家庭にとって、テレビを見ることは日常であろう。だが、筆者にとっては非日常だ。うちのマンションにもテレビは置いてあるが、眼科手術もしくはダンスの教育ビデオを見る時以外は、ほとんど電源を入れていない。ニュース等は、ネットで見ている。日本全国『地デジ』と騒がれているようだが、うちのテレビはアナログだ。
紅白歌合戦を見た。知らない歌手の方が多い。いよいよ時代の波に取り残されたかと、いささか危機を感じる。ブラウン管を通して、郷ひろみが踊っている。自分より10歳以上も年上というのに、年齢を感じさせない。トップアスリートの肉体、はっといわせる演出、観客からどう見られているか、常に意識している。まさにダンサーの鏡だ。
さて大晦日といえば、除夜の鐘がつきものだ。住宅街にあるうちの寺にも、鐘はある。しかし、私は産まれてこのかた、一度もうちの寺の鐘の音を聞いたことがない。「騒音だ!」と、ご近所から苦情が出てからというもの、鐘をついてはいけないと、祖母から言い聞かされている。そこで鐘をつくために、よそ様の山寺へと向かった。
暗い雪の中、下駄を履いておぼつかない足取りで、傘を杖がわりに石段を登る。ざっと見渡すと、着物姿は自分だけ。世の中は不景気なのだろうか? お寺のお賽銭箱の中には、紙幣がほとんど見られない。病院という所にいると、景気不景気に関係なく患者さまが搬送されてくるので、麻痺してしまったのだろう。
『今年こそ(ダンス)昇級!』
そう願いながら、除夜の鐘を一回つく。
元旦は朝から門徒の方々が、うちの寺へお参りに来られた。そこでまたもや和服に着替え、新年のご挨拶をする。
「糸魚川総合病院のホームページを見ていますよ。お嬢さん、凄いですね」
ある門徒の方から、お褒めいただいた。病院のホームページに連載で掲載させていただいている『ダンス物語』を愛読していただき、お褒め下さったのかと思いきや、そうではなくて眼科の手術件数のことを仰っているようだ。その方は、『ダンス物語』の存在すら知らない様子(涙)。ちなみに私は、うちの病院の手術紹介のページがあることを、その時に初めて知る。
2日目は姪っ子のスキーを借りて、スキー場へ出かけた。最後に滑ったのは大学生の頃、社会人になってからはまだ一度も滑っていないので、20年ぶりの滑走だ。これも非日常。ナイターの牛岳スキー場は、富山の夜景を一面に見渡せた。彼氏と来たら(もし彼氏がいたら)、どんなに素晴らしいだろう。それにしても、スキーは短い! 小学校低学年のスキーを借りたのであるから、無理はない。リフトから降りる際にバランスを保てず、『成子おばちゃん』は転倒しそうになるのを踏ん張って、エクサイトする。まるでダンスと同じだ(笑)。
3日目、あれだけ太腿の筋肉を使ったというのに、筋肉痛はなし。ダンスで鍛えたおかげだろうか? リーダーと待ち合わせて、富山のホールでダンスの練習をした。リーダー君も存分に非日常を満喫したのだろう。ダンスを休んでいたこの2日間で、彼の体重は2キロ増えたというのだから。
踊ること約6時間。2日間の非日常の後、汗を拭きながら日常もそれに負けず素晴らしいということに、改めて気付かせていただく。
「仏さま、ありがとうございます! 仕事とダンスに精進します!」
『すうぱあ中年』を目指して、本年も頑張ります!(笑)
著者名 眼科 池田成子