社交ダンス物語 37 「ダンス遠征 山梨県大会(後編)」

コラム

 誰だって苦手なものの、一つや二つあるのでは? 私の苦手なものに『パソコン』と『英会話』と『朝ごはん』がある。子供の頃母親から、「朝ごはんを食べない子は、不良になります」と言われ続け、今や晩酌を楽しむために朝昼の食事を抜いてしまうという『不良中年』だ(苦笑)。ちなみに『良い子』のリーダー君は、毎朝しっかり朝ごはんを食べるという。
 
朝ごはんを食べると体温が上昇して、脳や体が活性化されるといわれる。試合当日はリーダーの勧めで、遠征先のホテルで朝食をとることにした。朝7時に朝食会場へ行く。すると生卵に、てんこ盛りの白いご飯、焼き魚にお味噌汁が出てきた。朝ごはんを食べることは、私にとって非日常。ましてや『生たまご』だ。最後に食べたのは、いつのことだろう。そういえば、糸魚川でプロの教師として社交ダンスの指導に貢献しておられるK先生の自分史に、「子供の頃運動会でお母さんが生卵を持参して、走る前にスタート付近に来て飲ませてくれた…」というエピソードがあった。『生たまご』の効果って、そんなに凄いのだろうか? 意を決して、卵を飲みこむ。
 
『現状維持は後退である』という教訓を、かつて元A級競技選手の先輩から戴いたことがある(ダンス物語・第22話 アップ オア ドロップアウト)。しかし、競技ダンスの世界において、現状を維持するということは、本当にキビシイのだ(涙)。『今日の自分が一番若い』という名セリフがあるように、まず年齢との闘いがある。昨年の競技会では、ラテンアメリカンは持ちクラスをやっと維持したが、スタンダードはC級からD級へ降級した。我々にとって今回の関東甲信越ブロック山梨県大会は、D級競技会に出場して何としてでも決勝へ勝ち上がり、C級への『返り咲き』を懸けた試合でもある。
 
 午前8時頃に、会場へ到着。予選は午前9時から始まった。競技会は多い時は、出場数が200組を超えることもある。十数組のペアで同時に踊り出し、複数のジャッジによって、ふるい分け方式で採点される。一次予選で約半数のペアがふるい落とされる。二次予選、三次予選をクリアして、残った12組で準決勝を闘い、その中の6組が決勝へと進出できる。
 
 予選の段階では、選手達は背番号で呼ばれる。フルネームで名前が呼ばれるのは、決勝に勝ち残ったペアのみだ。今、リーダーと自分の名前が、会場でアナウンスされた。一面のフロアに、6組の男女が立っている。これからスタンダードD級の決勝が始まろうとしている。種目はスロー・フォックストロットとクイックステップ。勝つためには、踊り出しの場所やフロアクラフトも大切だ。フロアに入ると各リーダーは、自分の踊りやすい位置を確保する。その位置から約1~2メートル離れて、各パートナーはリーダーと向かい合い、真っすぐに立つ。
 
 曲が鳴り出す直前は、最も緊迫する瞬間である。踊り出しの位置を変えるため、別のカップルのリーダーが突如、我々の陣地へ入ってきた。ぶつかるまいと、我がリーダーは横へ平行移動した。それに合わせて私も横へずった瞬間、ブチっという音がした。不覚にも、床に垂れている自分のドレスのフロートの部分を踏みつけたのだ。長いフロートは手首の部分が切れて、ハラリと床に落ちた。しかも切れたのは、左手側。競技経験がおありの方なら、これがどんなに危険なことか、ご想像できるだろう。(涙)
 
 こうなったら指が唯一の『洗濯バサミ』だ。しかし、男子の腕に添える親指は使えない。切れたフロートの先端を、左手の中指と人差し指で挟み、指の筋肉が吊りそうになるのをこらえて踊った。昨夜食べた『馬もつ煮込み』の威力だろうか、リーダーは「ヒヒーン」と雄叫びはあげないまでも、サラブレッドになりきってフロアを駆け巡っていた(前編)。結果は二種目総合3位。即日C級に昇級した。
 
 試合前夜の甲州料理、そして試合直前の『生たまご』の効果は絶大であった。(笑)

著者名 眼科 池田成子