社交ダンス物語 35 「東京へ進出! 後楽園ホール」

コラム

 現在のリーダーと競技ダンスのカップルを結成して3年、関東甲信越ブロックの競技会には、くまなく出場してきた。おかげさまで、シニアラテンは念願のA級に昇級できた。そしてこの度、『格闘技のメッカ』と讃えられる、後楽園ホールで開催される競技会に挑戦することにした。東京の大会といえば、地方と違いレベルが高いと言われる。自分達のレベルを知る良い機会だ。
「東京の試合で、もまれて来なさい」
コーチャーからそう言われて、我々は送り出された。
 2月20日、大会前日の昼頃に東京入りした。東京に降り立って、周りと何かが違う…と違和感を感じた。そう、足下だ。東京の女性達は2月でもハイヒールや、つま先の見えるパンプスを履いている。我々は完全武装の長靴だ。これではいかに都会人を装っても「雪国から来ました」といわんばかり。
 まず、会場の下見をすることにした。電車に乗り換えたところで、リーダーが大慌てをしだした。乗った車両に「女性専用車」というステッカーが貼られていたのだ。しかし、同じ車両に優雅に新聞を読んでいる男性客がいる。都会では時間帯によって入れ替わりがあるということを、田舎者はその時に初めて知る。
 JR水道橋駅に着いた。私もリーダーも、プロレスやボクシングの観戦をしたことがないので、後楽園ホールは初めてである。後楽園ホールは駅から徒歩5分、東京ドームに隣接した青いビルの5階にある。ホールの入り口の壁には、歴代のボクシングの世界チャンピオンの写真が高く掲げてあった。ダンスがプロレスやボクシングと同じフロアで行われるというのは、奇異に感じられるが、格闘技ではないものの『美と技』を競い合うという観点では、競技ダンスも一種の『闘い』なのであろう。
 試合前夜、夕食に何を食べようかとリーダーと東京のネオン街を歩いた。入った店は、カツ丼店。縁起をかついで、カツを食べることにした。店内はカウンター席のみで、お世辞にも綺麗とは呼べず、哀愁漂う演歌が流れていた。暖房の効かない店内で、コートの襟を締めながらカツ丼を食べた。この店のカツは、ころもが厚い。肉を探しながら食べた。
 2月21日、試合は午前9時から開始された。シンデレラのドレスのような戦闘服(競技用ドレス)を纏い、高い天井のシャンデリアを見上げ、ライトを浴びて踊った。結果は、予選落ち。東京の選手達と比べると、自分達の踊りは幼稚でお遊戯のよう。泣けてくる(涙)。しかし、ここでへこたれてはいけない。都会人に負けてなるものか、「雪国育ちの、ド根性!」とばかりに、アニメ『巨人の星』の主題歌を口ずさみながら、浜松町にあるシーバンスホールというダンス練習場へ向かった。負けてすごすごと糸魚川へ帰るだけではもったいない、せっかく東京へ来たのだから、帰りの新幹線の時間まで、都内の練習場をフルに利用することにしたのだ。
 昼過ぎに、シーバンスホールへ到着。そこで練習しているカップル達は、練習着からして我々とは違う。ラテンにしてもスタンダードにしても、斬新的で洗練されたデザインだ。(ちなみに私とリーダーは、ジャージー姿)。都会の人は、練習においても己を美しく見せることに手抜きをしていない。そしてこの練習場では、踊りの質がとても高い。どう見たって、自分達が一番不格好だ。
「思い込んだら、試練の道を…♪」
またもや、例の歌がとび出してしまう(笑)。
 華の東京で、田舎からやって来た二人は『銀ぶら』することもなく、次の試合に向けてダンスの練習に励んだのであった。
 

著者名 眼科 池田成子