かつて前教授から、「up or dropout」というお言葉を戴いたことがある。この言葉は大学病院に永久就職を願う医師達にとって、座右の銘というべきだろう。筆者も含め、日本中に医師はごまんといる。しかし、『教授』というピラミッドの頂点にまで登り詰めることが出来る人は、ほんの一握りだ。エベレストの頂上(教授)目指して努力(up)するが、途中で酸素切れして下山(dropout)することを余儀なくされるのが大多数。その前教授の、キビシかったことこの上なし(苦笑)。医局では、医学論文に関して日本語禁止令が布かれた。教授いわく、「日本語で論文を書いてはいけません。日本人しか読みませんから。世界で通用するためには、英文ペーパーです。」はい、ごもっとも。でも、お世辞にも出来が良い方と言えない私にとって、英語の作文は拷問そのもの(涙)。しかも外国の医学雑誌はクオリティーが高く、一例報告や月並みの臨床データはアクセプトしてもらえないことが多い。(ちなみに前教授は、毎月のように英文雑誌に名を馳せていた。恐るべき!)今は大学を離れ地域医療に携わっている私であるが、今日の自分があるのは前教授のお蔭と深謝している。
さて、話替わって。我々はJBDF(日本ボールルームダンス連盟)所属のアマチュア競技選手であるが、競技を引退された同ダンス教室の元ラテンA級の先輩が、後輩である我々に、「現状維持は後退である」と叱咤激励してくれた。その言葉に、ぱっと目と目を合わせたリーダーと私。これもキビシイ(涙)。だが、競技選手たるものにとっては、ごもっともな教訓だ。分野と人口が異なるためダンスと医学を一色単にして多少無理があるが、難易度から想像すると『競技A級』は『医学部教授』に相当するのではなかろうか。A級に憧れ、A級を目指して多くの選手達が努力する。そして、A級にまで勝ち上がった覇者は、競技ダンス界の戦国大名といえよう。(ちなみに現在、新潟県でJBDF現役ラテンA級のプロは存在せず。アマチュアでは2組のみ)
40歳を過ぎてダンススクールの門を叩き、2年でC級にまでたどり着けた私とリーダー君。競技会のレベルは、年々上がっていると言われる。現状維持すらままならない。果たしてどこまでアップできるか、年齢と自己への挑戦である。
著者名 眼科 池田成子