社交ダンス物語 14 「動機は純・不純?」

コラム

 お陰さまで人間42年、医師歴18年、ダンス歴3年になる。仏教寺院の娘として育てられた私が医師になった動機は、ホームドクターであった小児科のK先生の存在が大きい。「娘がひきつけを起こしました。目と鼻をむいています!」母のコールに、K先生は昼夜なく往診に駆けつけてくれた。K先生はギョロッとした目の痩せた長身の先生で、往診の時はいつも大きな黒い革製の鞄を持ち歩いていた。その中には聴診器と血圧計(祖父母の血圧も測ってくれていた)、注射器(当時のシリンジはガラス製。針と一緒に金属製の小さなケースに入れてあった)と数種類の薬とご褒美(?)の飴が入っていた。K先生の帰り際に母は決まって本堂へ行き、お華束(仏様にお供えする丸い餅)を先生に差し出していた。母は仏様を拝むのと同様に、両掌を合わせて先生を拝む。クリスチャンであるというK先生もお華束を受け取ると、深々と頭を下げて静かに去ってゆかれた。あれから30年以上経ても、K先生の白衣の後ろ姿は昨日のことのように鮮明に思い出される。
 幼い頃の私は、お医者さんを仏さまと重ね合わせて見たのであろう。そして現在医師として働かせていただいていることに、深く感謝している。では次に、社交ダンスを始めたきっかけは何かと問われると、これは些か首が縮まるのであるが、酒の席にダンスを嗜む職場の仲間がいたことだ(詳細はエッセイ社交ダンス物語 第1話)。ハイヒールに付けまつ毛・マニキュアとは無縁であった私にダンスをすると言わせたなんて、酒の威力は恐るべし(苦笑)。ちなみに競技ダンサーである私のリーダーがダンスを始めた動機は、「女性と手をつなぎたかったから」だそうだ。当時、柔道一筋で師範をしていた『硬派』の彼は、このまま柔道だけを続けていると未来永劫女性とご縁がないのでは…と、ある日危機を感じたという(笑)。そんな彼にとって、現在ダンスは生き甲斐かつ神聖なるもの。毎日ダンスに汗を流し、彼も私も成りたい自分を目指して頑張っている。
 非日常の世界へ誘ってくれる『ダンス』は、今や二人にとって日常そのもの。動機はさておき、私にとって今を輝かせてくれるダンスとご縁があったこと、それはとてもありがたいことだ。


著者名 眼科 池田成子