社交ダンス物語 361 そこはパラダイス!

コラム

 パラダイス、それは「楽園」「夢の国」「望んでいた場所」「桃源郷」「天国」などの意味で使われる単語ですね。かつて私の患者さまから、昭和史の書物を頂きました。NHK学園発行『わたしの生きた昭和』という、98名の方による昭和の自分史を綴った作品集です。その中には、患者さまの作品もありました。患者さまは昭和4年、豪雪地帯である新潟県高田市生まれ。幼くして父親を亡くした彼女は教員の道へ。長岡市にある新潟第一師範学校女子部を卒業後、35年間の教員生活を送りました。『ここはこの世のパラダイス』という彼女の作品に、共感いたしました。彼女がそう思った所は、師範学校での寮生活です。戦争が終わって、寒さや飢えの続く日々でありながらも、親友がいて、素晴らしい先生方がいて、彼女にとっては幸せいっぱいの寮生活だったそうです。師範学校では彼女は天文クラブに所属していて、夜な夜な天体望遠鏡で星を観察していたそうですよ。焼け野原の長岡は空があくまで広く、星たちの美しさに見とれていたとのこと。
 
 「ここは私のパラダイス!」
 彼女にとって寮生活がパラダイスであったように、自分にもそう思える所があるのですよ。そこは、どこかですって? 糸魚川総合病院での入院生活です。35歳の冬に左足を骨折して、うちの病院の整形外科に3ヶ月入院していました。××を患う今の自分と同じ、骨折した当時も仕事と治療を両立させていましたね。朝は病室で白衣に着替え、車いすに乗ってお医者さんをします。仕事を終えたら病衣に着替えて患者さんになります。ここでは朝寝坊の心配もいりません。あの頃の病院生活は快適で天国でした。真冬に暖かいお部屋で美味しい三食付き。(当時はあんこう汁が出ました)雪かきもお掃除もしなくて良し。しかも病院スタッフは優しい。手術室では車いすや松葉杖は使えません。片足でケンケン跳びながら、自分は手術室を移動して執刀していました。(笑)糸魚川総合病院、そこは自分を応援してくださる患者さまがいて、サポートしてくれるスタッフがいて、頼りになる先生方がいて、幸せいっぱいの入院生活でした。
 
 糸病での入院生活がパラダイスだなんて、××を患っている糸病眼科の池田はおセンチになって、病院エッセイに辞世の言葉を書き残しているのかと、読者の皆さまから心配されるかもしれません。大丈夫です。人生100年時代、彼氏ができるまで死ねませんわ!(笑)そもそも糸病がパラダイスというのは、未来進行形です。長生きしたら、自分は身寄りのない老人になります。これは内緒にしようと思っていたのですが、読者の皆さまにこっそりお伝えしますね。糸病・眼科の池田は医者を辞めた後、物忘れが始まる前にうちの病院の医事課に全財産を現金で預けて、糸病に永住させてもらおうともくろんでいます。長年過ごして慣れ親しんだ糸病は、池田の婆さんにとっては我が家のような所。病院職員は、まるで娘に息子、かわいい孫ですよ。身元保証人には院長先生がなってくれるの? ブラボー!(笑)
 
 パラダイス、そこは安心して居られる夢のような素敵な空間。ちなみに、ダンサーであるうちのリーダーにとって、この世のパラダイスは『ダンスホール』だそうです。ダンスホール、そこは学歴、年齢、収入、身長、髪の毛のあるなしは全く関係ありません。全ては、ダンスができるかどうかです。(コワすぎ?)脊柱管狭窄症で、歩くことはおろか、立つこともままならなくなったリーダーは、ダンスしたいという一念で腰の手術を受け、不死鳥のようによみがえりました。
「全ての女性を支配できる!」
シニアラテンA級の肩書きを持つリーダーは、ダンスパーティーでラテンの曲がかかったら、水を得た魚のようにフロアへ出て、笑顔で女性をエスコートします。他方、スタンダードの曲がかかったら…。
「女の人に、手の内を読まれてしまう…。」
腰をひいてエビのようになって、フロアサイドへ退散するそうですよ。笑っちゃいけない?(笑)
 
 
☆あなたのパラダイス、そこはどこですか?
著者 眼科 池田成子